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シリアルキラー

《実在の犯罪者》殺人ホテルまで建設したアメリカ史上初のシリアルキラー H・H・ホームズ

アオリンゴ
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ホームズの死刑囚の告白

私は生まれながらにして悪魔を宿していた。自分が殺人者であるという事実はどうしようもなかった。詩人が歌のインスピレーションをどうしようもないのと同じように…。

Dr. Henry Howard Holmes aka. H. H. Holmes

出典:Wikipedia

H・H・ホームズとは…?

H・H・ホームズ(または、ドクター・ヘンリー・ハワード・ホームズ)の名で知られるハーマン・ウェブスター・マジェット(英: Herman Webster Mudgett)とは、「シリアルキラー」(連続殺人鬼)として記録された最初期の人物でだと言われています。しかも、殺人をするための城をわざわざ建設し、その犠牲者の数は200人にものぼると言われており、かの有名な連続殺人鬼、ジョン・ウェイ・ゲーシーやジェフリー・ダーマーでも到底太刀打ちできないレベルのシリアルキラーである、にも関わらず、その名はあまり知られていません。

かくいうAoringoもアメリカン・ホラー・ストーリーのシーズン5『ホテル』に登場するいわくつきのホテル・コルテスを建設したキャラクター、ジェームズ・パトリック・マーチのモデルとなった人物である、というきっかけがあって初めて知ったところなのです。

また、シリアルキラーとしての一面はさておき、ホームズは詐欺師としてもかなり手癖が悪かったようで、結婚詐欺をはじめ、シカゴだけで50件以上の訴訟沙汰になり得るほどの人物だったといいます。

殺人の城

出典:Wikipedia

ホームズは1886年8月にシカゴへ移り住み、空き地を買い取って、2階建ての雑居ビルを建て始めました。この建物は、秘密の通路、仕掛け扉、防音室、外から鍵をかけられるドア、犠牲者を窒息させるガス噴射装置、死体を火葬する窯などを備えていた、まさに「殺人のための城」だったのです。

1893年のシカゴ万国博覧会をピークに、多くの女性を誘惑して殺害、または婚約させてから殺害し、貯金を取り上げたと言われています。H・H・ホームズはまた、従業員に自分を受取人とする生命保険に加入させ、従業員を殺害した後に金を回収できるようにしたりもしていました。そして、被害者の遺体の多くは、骨格標本にするため解体されるなどし、地元の医学部に売られたといいます。

まさに外道…振り切ってますね。

研究員Aoringo
研究員Aoringo

H・H・ホームズの誕生と背景

誕生と家族構成

1861年5月16日、ニューハンプシャー州ギルマントンで3番目の子供として誕生します。父親はアルコール中毒で、家族全員をひどく虐待していたと言われています。(しかしこれはホームズの証言によるもので確証はとれていないそうです。)

少年時代

虐待を受けていたにもかかわらず、ホームズは学校では優秀な生徒と見なされ、その結果、クラスメートからいじめられるようになったそうです。

ホームズを怖がらせようと、いじめっ子たちは人間の骸骨と対面させ、骸骨の手をホームズの顔に当てさせたりしました。ホームズは最初こそ怯えていましたが、次第にその体験のすべてが魅力的だと感じ、後に恐怖心が治まったといいます。この体験がきっかけで、ホームズは死に対して執着するようになり、その後、趣味で動物の解剖をするようになったのです。

高校卒業

16歳で高校を卒業した後、クララ・ラヴァリングという資産家の娘と結婚します。二人の間には息子が生まれました。3年後、ホームズはバーモント大学に入学しましたが、1年後に退学。1882年、ミシガン大学医学部外科学教室に入学し、2年後に卒業します。

在学中、ホームズは研究室から何体かの死体を盗み、その体に傷をつけ、保険金目当てに事故死したと主張しました。ホームズは嫁の実家の財力で大学へ進学し医師となったわけですが、やがて妻クララと息子をあっさりと捨てて、ニューヨークに移り住み、仕事を転々とすることに。(記事によっては開業医となったと書いているものもあるけど…)

ニューヨーク、そしてシカゴへ

少年たちの失踪

ニューヨークに引っ越した彼は、後に行方不明になる少年と一緒にいるところを目撃されています。ホームズは関与を否定し、警察も彼の主張を信じ、捜査は行われませんでした。その後、ペンシルバニア州フィラデルフィアのノリスタウン州立病院での仕事に就きますが、数日後に辞め、その後すぐ地元の薬局で働き始めましたが、彼が働いている間に、ある少年がこの薬局で購入した薬物で中毒死するという事件が起こりました。前回と同様、ホームズは少年の死との関わりを否定しますが、そのまま街を後にするのでした。

改名

ホームズは、この頃にヘンリー・ハワード・ホームズと姓を変え、イリノイ州シカゴに移りみます。クララとはまだ結婚している状態(ただし別居中)でしたが、複数の女性と婚姻関係を結んでは詐欺行為を繰り返しています。なかなかモテる男性ではあったようです。

それから1886年、ホームズはエリザベス・S・ホルトンという女性が経営する薬局で働き始めます。

いくつかの書籍やネット記事によると、この薬局のオーナー夫婦が謎の失踪をしており、それはホームズの仕業であると書かれていますが、実のところは彼が処刑された後の20世紀までドクター・ホルトンの存命記録があることから、これは全くの噂話であるとされています。

殺人ホテル

1887年、ホームズは働いていた薬局の向かいに空き地を購入し、そこに地元住民から後に「キャッスル」と呼ばれるホテル棟を建て始めます。当時のシカゴは、1893年に催されるシカゴ万博の準備で沸いていました。かなりの集客が見込まれる中、ホームズもホテル事業に乗り出したわけです。

持ち前の詐欺師としての腕前を駆使して良い角地を手に入れると、100部屋はあろうかという3階建てのホテルを建築。これが効率的に設計された「殺人ホテル」だったのです。全ての部屋が迷路のような秘密の通路で繋がれており、覗き穴、スライドする仕掛け扉、客を中毒死させることができるガス栓などがあり、遺体を効率よく処理するためなのか、リフトで地下にある硫酸槽に運べるようにまで設計されていたといいます。アスベストで防音された窓一つない部屋は「独房」と呼ばれ、中には様々な拷問用具と外科手術用具一式が揃えられていました。

ホームズは、この建物の奇妙な設計を誰にも見破られないようにするため、異を唱える建設作業員をクビにしたり、複数の建設会社に発注をしては未払いにする始末だったので、建設に終始関わった専門家はおらず、図面の全貌を知るのはホームズのみだったといいます。その後、ホームズは元犯罪者で大工のベンジャミン・ピツェル(英: Benjamin Pitezel)と出会い、彼を自分の右腕にしました。

ピツェルは、ホームズの犯罪の手伝いをしていたとされており、後に地方検事は、「ピツェルはホームズの道具だ……やつの家畜だ」と表現しています。

ホテルの開業後…

「殺人ホテル」は1892年に完成し、翌年5月からシカゴ万博が開催されたおかげで半年ほど宿泊客は絶えなかったそうです。

しかし、そこは殺人ホテル…。ホームズは獲物を入念に選別しました。まず金があること。美人であること。遠方からの客であること。いったいどれだけの女性が被害者となったのか、正確な数は判っていません。ホームズ本人は27人と告白しているそうですが、遺品の数などからして200人に及ぶのではないかと見られています。

恋人と連れ後子を殺害

被害者の一人であるホームズの愛人ジュリア・スミスは、当時別の男性と結婚していました。しかし、妻とホームズの関係を知った夫はジュリアの元を離れます。そして、ジュリアと娘のパールはホームズとホテルで生活を共にするようになりました。1891年、ジュリアはホームズに彼の子を妊娠していることを告げ、結婚を要求します。しかしホームズは、子供を産まないという条件で結婚することに同意し、中絶を提案し、彼女も同意しました。

しかし、その後すぐにジュリアと娘は母子ともに失踪しています…同様に1892年5月からホテルで働き始め、ホームズの愛人となったエメリンという女性もこの年のクリスマスに謎の失踪をとげています。

女性関係がめちゃくちゃすぎてよく分かりません…

研究員Aoringo
研究員Aoringo

消えていく女性たち

さらに同じ頃、ホームズは出張先のボストンで、ミニー・ウィリアムズという鉄道会社の跡取り娘と知り合い交際を始めます。ホームズはやがてシカゴに戻りますが、1893年2月にミニーはシカゴへ移り住んで彼のホテルで専属の速記者として働きはじめました。そして、彼女の所有する土地の権利をある男に譲渡するよう説得し、ミニーは同意。(なぜ同意したのか謎ですが…)しかし、その”ある男”とは、偽名をつかったホームズだったとか、右腕のピツェルを改名させたとか、ソースによって異なるのでよく分かりません。

ある時、ミニーの妹であるナニーと言う女性が二人を訪ねてきます。ナニーは、この後ヨーロッパへ行くという内容の手紙を叔母へ送っているにも関わらず、姉のミニーと共に失踪してしまうのでした。

フォートワースへ、そして第2の城

初めての逮捕

万国博覧会の後、ホームズは火災保険に関する詐欺をはたらこうとしますが保険会社から訴えられ、シカゴを離れることになりました。

その後、ミニーから受け継いだ土地のあるフォートワースに移り、再び”城”の建設に着手します。同じように複数の業者に発注しては詐欺を働きながら完成した建物は、シカゴの”殺人ホテル”をひとまわり大きくしたような形だったそうです。

その後、ホームズは抵当に入っている商品を売った詐欺容疑で逮捕され、初めて短期ではあるものの禁固刑を受けました。

焼かれる相棒

その後、ホームズは保険金詐欺の計画を練り、若い弁護士を使って実行しようとしますがこれは保険会社から支払いを拒否され失敗に終わります。

しかし、これでめげないホームズは次に右腕であるピツェルを使って、死を偽装して死亡保険金を騙し取る詐欺を企てます。ピツェル自身もこの計画に賛同し、自分の死を偽装して1万ドルの保険金を妻が受け取れるように協力することに。

計画の内容は、”発明家のB.F.ペリー(偽名)という男が実験室での爆発で死亡してしまう”という筋書きでした。爆発で死ぬ男の遺体を用意せねばなりませんでしたが、そのままピツェルをクロロホルムで失神させベンゼンを用いて焼き殺してしまいました…。そして、何も事情を知らないピツェルの妻を巧みに騙して保険金を受取り、そればかりかピツェルの5人の子供のうち3人(アリス、ネリー、ハワード)の養育権まで搾取し、ピツェル夫人と共にカナダへ向かうのでした…(この時点で、夫人は夫が殺されたことすら知らなかったそうで、夫に会いに行くという目的で行動を共にしていたそうです。)

子供まで奪う理由が全然わからないし、残り2人の子供はどうなってしまったのでしょうか…

研究員Aoringo
研究員Aoringo

その後、ホームズは3人の子供のうちアリス、ネリーはトランクに入れて鍵を締め、穴を開けたフタからガスを送り込まれ窒息死させます。遺体は裸にして賃貸住宅の基礎へ埋め込みました。後に、ある建物の地下室から2人の腐乱死体が見つかったそうです。

その後、残った子供ハワードの歯とわずかな骨もとあるコテージの煙突下から見つかりました。

ホームズの被害者たち

様々な殺害方法で殺された被害者たち

ホームズの被害者は、従業員、恋人、ホテルの宿泊客など様々でした。

ガス管を取り付けた防音室に閉じ込められ、窒息死させられた被害者や、「秘密の首吊り部屋」に連れて行かれ、そこでホームズに首吊りにされ殺された被害者、または防音金庫に閉じ込められ、窒息死させられる者もいました。さらに、レンガで密閉され天井の仕掛け扉からしか入れない別の密室に連れて行かれ、そこに閉じ込められて餓死と脱水症状で放置された被害者もいたそうです。

被害者たちの死後、ホームズは死体を地下に続く金属製のシュートやダミーエレベーターに運び、そのほとんどを解剖して肉を剥ぎ取り骨格模型に加工し、医学部に売りさばいていました。また、石灰溜めに捨てたり、焼却したり、腐食性の酸や毒物、伸縮棚を使うこともあったそうです。

被害者の数

確認されている被害者の数だけで38人を超えており、行方不明者等を合わせるとその被害者は200名以上にのぼるといわれています。

殺害方法や被害者のタイプを見ても、成人男性から女性、幼い子供まで幅広く、(しかし主に女性が多いとされています)、情緒型殺人というよりは、目的のために手段を選ばない場合の殺人、または単純に趣味としての殺人など、あらゆる動機があることがうかがえます。

逮捕、そして処刑

逮捕

実は、ホームズのことをピンカートン探偵社がフィラデルフィアからずっと付けていました。彼には、テキサス州での馬泥棒で礼状が出ていて、当局はこの件を捜査もしていたのです。ホームズは、高飛びする準備を着々と進めていましたが、ここにきてついに逮捕されるのでした。

1895年10月、ホームズはかつて右腕であったベンジャミン・ピツェルを殺害した罪で起訴され、有罪・死刑判決となります。それまでに、ピツェル家の子どもたちを殺害したことも明らかになりました。そして、有罪判決によると、27件の殺人、6件の殺人未遂を告白したとされています。

処刑

1896年5月、ホームズはモヤメンシング刑務所(別名:フィラデルフィア郡刑務所)で絞首刑となりました。処刑に際し、ホームズは自分の遺体が墓泥棒や解剖に使われないように、セメント詰めにして3mの深さに埋めてほしいと求めたそうです。

さんざん大勢の人を殺して骨格標本にしてきたくせに自分は嫌なんですね。

研究員Aoringo
研究員Aoringo

ホームズは、絞首刑の際に首の骨が折れずに苦しみながらゆっくりと死んでいったとされています。処刑開始から20分後に死亡宣告されるまでおよそ15分以上も痙攣し続けていたとか。

”殺人ホテル”のその後…

管理人の謎の死

ホームズの死後、シカゴの殺人ホテルの管理人を務めていたパトリック・クインランが、「眠れないんだ」という謎の書き置きとともに遺体で発見されました。彼の親戚によると、パトリックは数ヶ月前からなにかに取り憑かれ、幻覚を見ているようだったと語っていたそうです。

現在の”殺人ホテル”

出典:Wikipedia

ホテルは、1895年8月に謎の火事に見舞われました。建物は火事に耐え、1938年に取り壊されるまでそのまま残されたそうです。2022年現在、ホテルのあった場所はアメリカ合衆国郵便公社のエングルウッド支店が存在しています。

まとめ

いかがでしたか。実在したまさに外道、映画もびっくりの詐欺師で、子供も容赦なく殺したアメリカ初のシリアルキラーH.H.ホームズについてまとめてみました。

かなり古い人物なので、書籍やネット記事によって微妙に記述に食い違いがあるので正直どれが真実なのか、具体的な部分は不明なところもありましたが、それでもざっくりと彼がどれほど危険な人間であったのかは理解ができました。写真を見ると、とてもそんな人には見えないですよね…だからこそ、人は騙され、彼を信じ、ここまで被害が拡大したのでしょうか。

ドラマ、アメリカン・ホラー・ストーリー「ホテル」では彼をモデルにしたジェームズ・パトリック・マーチが、同じくからくりだらけの殺人用ホテルを建築していますが、建築業者を解雇して図面の全貌を知るのは設計者であるマーチのみだった、という下りなども、かなりホームズの実際のエピソードを元にしているんだなぁということがわかりました。

また、キアヌ・リーブス主演、製作総指揮にはマーティン・スコセッシ、レオナルド・ディカプリオという豪華な面々で、ホームズを題材としたドラマが公開待ちとのことです(^^)/これは絶対に見なきゃ!

H・H・ホームズに関連した映像作品

映画

  • 2004年-『H. H. Holmes: America’s First Serial Killer(原題)』ドキュメンタリー
  • 2017年-『Havenhurst(原題)』架空の現代のホームズの継承者が題材となっている作品。

ドラマシリーズ

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ABOUT ME
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にわかホラー研究員
関西在住。ホラー映画を見たりホラーに関することで興味が出たものをマイペースに調べたりしてブログ記事にしています。いろんな映画を観るよりは好きな作品やシリーズを掘り下げるのが好きです。もっぱら在宅シネマ―で動画配信サービス&BS/CS録画で楽しんでます。
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